当社の法人向けサポートサービスでは、企業のお客様がフリーソフトウェアを使われていて遭遇されたトラブルの解決や原因究明、文書化されていない技術情報の調査などを有償にて行っています。「特殊な労働力を提供してお客様の役に立ち、その対価としてお金を頂く」ということで、ビジネスモデルとしてはシンプルです。
ところで、当社の理念は「自由と稼ぐの両立」です。前述のビジネスモデルから「稼ぐ」は容易に読み取れますが、これがどのように「自由」に繋がっているかは見えにくいかもしれません。
まず単純に、「ユーザーが増える事が自由なソフトウェアの推進になる」という事が言えます。それは「そのソフトウェアを使うと開発チームに広告収入が入る」といった直接的な還元に限りません。例えば、そのソフトウェアのユーザーが増えると、業界内でのそのソフトウェアの影響力が増すので、プロプライエタリな製品にとってはそのデータ形式やプロトコルを無視しにくくなり、ユーザーが特定の製品に囲い込まれるリスクが低減する、という効果が期待できるでしょう。
また、こちらがこの記事の本題なのですが、このビジネスの中で実際の使用環境で見つかった不具合を報告したり、実際の使用環境でのニーズを汲み取った提案をしたりという形で、そのソフトウェアの改善に寄与できます。
ということで、以下、Mozilla製品の法人向けサポート由来のフィードバックの事例を4つご紹介します。
bug-1540943---broken-message-body-on-forwarding-a-mail-including-invalid-character(mozilla-thunderbird)">Bug 1540943 - Broken message body on forwarding a mail including invalid character(Mozilla Thunderbird)
これは、メールの本文にエンコーディング上不正な文字が含まれていると転送メールの本文が文字化けしてしまうという問題です。法人利用では様々なメールが頻繁に・大量にやり取りされるため、このような「普通は起こらないエッジケース」が起こる事があり、また、それがビジネス上の支障になってしまう場合もあります。この現象に遭遇されたお客さまの場合、取引先からのメールを転送しようとすると文字化けしてしまうという事でお困りでした。
原因と回避策を調査した結果、本文として転送する場合には発生を避けられない問題である事が分かったため、お客さまには「添付として転送」などの別の操作を使って回避して頂く事をお薦めし、開発元には上記のBugの通り、その時点で判明していた発生条件などの情報を報告しました。
その後、開発者の方の目に留めて頂き調査が進んで、最終的にはソースコード中の1行をピンポイントで修正(呼び出す関数を変更)して問題を解消するパッチが投入されました。変更点が少なかった事から、この修正はThunderbird 60のメンテナンスリリースにも反映される結果となっています。
bug-1563665---replied-mails-are-not-marked-as-"replied"-if-the-folder-has-a-comma-(,)-in-its-substance-file-name(mozilla-thunderbird)">Bug 1563665 - Replied mails are not marked as "replied" if the folder has a comma (,) in its substance file name(Mozilla Thunderbird)
これは、メールフォルダに対応するローカルディスク上のファイルの名前に ,
(半角コンマ)が含まれているとそのフォルダ内のメールに返信などの操作をしても「返信済み」のようなマークが付かないという問題です。Thunderbirdではメールフォルダ1つがディスク上の1ファイルとなるmbox形式が初期設定となっており、ファイル名はフォルダ名そのままではなくMUTF-7という特殊なエンコーディング方式で英数字に変換されているのですが、台北
のような特定の文字列で変換結果が &U,BTFw-
となり ,
が含まれる事になって、全く予想もしていなかった所でこの不具合に遭遇してしまう場合があるという状況でした。
お客さまには、MUTF-7でのエンコーディング結果に ,
が含まれないようにフォルダ名を工夫するという回避策をご案内していますが、どんな文字列がエンコーディング後にこのパターンになるのかについては事前の予想が難しいため、残念ながら万全とは言えない回答となってしまいました。
この問題は原因そのものは判明したものの、古くからある設計上の判断に起因する問題ということで、どのような方向で対処するのが妥当かという技術的判断の落とし所が見つかるまで、修正にはまだしばらく時間がかかりそうです。
bug-1569089---the-"-version"-("-v")-command-line-option-doesn't-report-version-information-when-using-cmd.exe(mozilla-firefox)">Bug 1569089 - The "-version" ("-v") command line option doesn't report version information when using cmd.exe(Mozilla Firefox)
これは、Firefoxの起動オプションの一部が特定の状況下で動作しなくなっているという問題です。Firefoxは実は firefox.exe -v
という風に -v
オプションを指定して起動すると一般的なコマンドと同様にバージョン情報を文字列として出力するようになっており、これを使って現在インストール済みのFirefoxのバージョンを確認するという運用を取られているお客さまがいらっしゃったのですが、FirefoxをESR68に更新するとバージョン情報が出力されなくなったために運用に支障が生じている、という事でお問い合わせを頂きました。
調査の結果、Bugに記載しているとおりこの問題そのものは回避が不可能という事が分かったため、Firefoxのバージョンを調べるには何かしら別の方法1を使わなくてはならない旨をお客さまにはお伝えしました。
-v
はあまり使われる事の無さそうなオプションで、我々も正直な所、今回の調査を行うまでオプションの存在自体を把握していませんでした。しかし、報告したBugは優先度が P2
(クリティカルな問題に対して付けられる P1
の次に高い優先度)と設定されています。本稿執筆時点では未解決ですが、もしかしたら案外早く修正される事になるかもしれません。
add-managed-storage-support-(duplicate-tabs-closer)">Add managed storage support (Duplicate Tabs Closer)
こちらはFirefox本体ではなくアドオンへの改善提案です。「Duplicate Tabs Closer」は同じURLのタブを重複して開く事を制限するアドオンで、重複の検出基準や検出時の挙動について様々な設定ができるようになっています。しかしながら、それらの設定値はローカルストレージ領域を使って保存されており、システム管理者の側では設定を制御できません。ですので、法人利用であらかじめ動作を決めておきたい場合、アドオンのソースコードを編集して組み込みの初期設定を変更する必要があります。
お問い合わせを頂いたお客さまの導入環境向けにそのように改造する事自体は容易ですが、提供開始後にアドオンが更新されたらそれへの追従の必要が生じます。また、その後同様のニーズをお持ちのお客さまから相談を頂く度に改造版を作る必要もあります。
その一方、Firefoxのアドオン向けAPIにはManaged Storageという機能があり、専用のファイルもしくはポリシー設定用の policies.json
に書いた設定をアドオン側で読み取る事ができます。もしDuplicate Tabs CloserがManaged Storageに対応していれば、アドオンのソースコードを毎回編集する必要はありません。
以上の事を踏まえて、Managed Storageから設定値を読み込んで反映するという動作を追加する変更を提案した物が、上記のプルリクエストです。こちらは作者の方のご理解を得る事ができ、無事にマージして頂けました。
法人向けサポートからアップストリームへフィードバックする事の意義
アップストリームへのフィードバックは開発の現場に直接関わる事に等しいため、的確なフィードバックには様々な知識が必要になってきます。FirefoxやThunderbirdのように「ソフトウェア開発者でないエンドユーザーも使う物」ではこの点がネックとなりがちなためか、ユーザー自身によってなされた報告にはどうしても、不正確な報告や発生条件の絞り込みが不足した報告が散見されます。また、多くの日本人にとっては英語自体がハードルとなって余計にフィードバックしにくいという問題もあります。当社が法人サポートの中で行っているフィードバックは、これらの点を補ってフリーソフトウェアを推進していく物と言えます。
ビジネス的観点においても、アップストリームへのフィードバックには意義があります。問題点をそのプロダクトの開発元にフィードバックしないで手元での回避だけを行っていると、プロダクトの更新や変更でその回避策が取れなくなる恐れがあり、将来的なリスク要因になります。早め早めにフィードバックしてプロダクト本体側で問題を解決する事によって、その種のリスクが低減され、より安定して運用できるようになる事が期待できます2。安物買いの銭失いにならなければ、それはサービスの付加価値と言えます。
そうしてプロダクト自体の品質が高まって企業で採用しやすくなると、法人向けサポートの需要の拡大にも期待できます。また、当社内でフィードバック対象のプロダクトへの理解が深まり知見が増えれば、それだけサービスの品質が向上します。
開発プロジェクトにとっても、ユーザーとなるお客さまにとっても、サポートを提供する当社にとっても利益になるという事で、これは「自由と稼ぐの両立」という理念の1つの実践例となっているわけです。
まとめ
以上、当社が法人向けサポートサービスを通じて行ったフィードバックの例を挙げて、会社の理念をどのように実践しているかをご紹介しました。
当社の法人向けサポート事業はいわゆるSI業界の周辺にあり、直接の取引先やその先のお客さまには「お堅い」業界の会社さまも多くあります。そのような業界はオープンさ・自由さと縁遠いという印象を持つ方が多いかもしれませんが、実際にはその内側ではフリーソフトウェアが使われていることは珍しくありません。やり方次第ではその領域のビジネスと自由なソフトウェアの推進を同時に行えるという事例の1つとして、参考にして頂ければ幸いです。
また、業務上でのフリーソフトウェアの使用においてトラブルに遭遇されていて、フリーソフトウェア製品やプロジェクト側の知識の不足でお困りの企業の担当者さまがいらっしゃいましたら、お問い合わせフォームよりお問い合わせ下さい。